私の父は平成8年に亡なったが
母親は健在である。今80歳である。しゃきしゃきの
元気なお婆さんであるが、私の母である。
2週間に一回は電話するのであるが、少しでも
遅くなると、非常に心配するのである。
「しばらく電話くれなかったな、」とか「会社は大丈夫か
、」「体は大丈夫か、」母の聞くことは何時も同じである。
子供を案じる言葉だけである。
母にとって52歳になる私は、永遠に三歳の子供
と同じであり、何時も心配の対象である。
母の愛は、子供には計り知ることができない。
母の強さは、子供の強さの比ではない、と
何時も思うのである。
若い母には若いなりに、年老いた母には年老いた
なりに、母としての優しさと、強さと、愛の
深さを持っている。それは父のそれとは違う
厳しさと、慈悲に満ちている。要するに無償の愛であり
身代わりの愛である。
だから、慈母観音というのがあるんだな。
慈父観音ってあまり聞かないものね。
慈愛という字は、仏の様な慈悲深い愛であり
決して見返りを求めない、母からの一方的に
注ぐだけの愛である。正に慈愛は母につけられた
言葉のなのである。
母の私に対する愛は、この慈愛である事を言葉の奥に感ずる。
おそらく世の母の、我が子への愛は、すべて慈愛であろう。
慈愛こそ、母と子のきっても切れない絆である。
世の母はすべて慈母観音であると思う。
慈母観音に拝 及川秀悟
【#174】 慈母観音
- 2002年3月2日
- 今日の一言