私は教育正常化のボランティア活動をしているが、
何時も思う事がある。
何故にも日本の教育はここまで堕落したのかと。
嘗て日本の教育は世界のトップにあったが
今はその面影がなくなった。
過去の教育が否定され、自由と平等、そして子供の
権利だけが主張される教育が主張される現代の学校教育である。
自由と平等、権利主張の教育が善であり、学校の規律を守るであるか、
倫理道徳は子供に強制するから良くない、
子供の自由権利を奪う悪の思想であると否定される。
これは何か可笑しいと常々思うのである。
小学生や中学生は社会人になっていないのである。
自分の行動や言動に責任が伴っていないのであるから
大人の保護が必要なんです。
だから子供には権利も自由もないのである。
学校は社会人になる為の基礎的は勉強を
する場所である。基礎的知識、基礎的な社会性、
集団社会におけるルールや協調性を養う場所である。
だから授業の範囲を中の自由はあっても
それを超えた自由はないのである。
授業を受ける権利はあってもそれ以外の権利もないのである。
生徒は先生に教わる立場にあるのであって、
教室には子供の権利の主張する時間はないのです。
また、良く平等を言う先生がいるが、学校における
平等は結果の平等はなく、機会の平等である
筈である。
勉強のできる子できない子ははっきりと
結果で評価してやらなければならない。
運動だって同じだ。
運動のできること苦手な子ははっきり成績表で
評価すべきである。評価される事によって頑張る子
もいれば、自分の得意分野を伸ばす子が育つのである。
評価は差別だなんて言う寝ぼけた先生がいるが
とんでもない事である。
できる子もできない子も結果平等にする事こそ
差別なのであり、子供の成長の芽を潰す事に
なるのである、と思うのである。
アメリカは1970年代から1980年代に
かけて教育の崩壊をしている。
その教育を立て直すために、教育現場に「躾」の
導入と倫理道徳の教育を取り入れた。
またクリントン政権当時には、学校に制服を復活させ
教育の再生をはかったのである。
要するに、教育とはある一定の強制と厳しいルールを
教えることである、と言うのである。
いま日本の教育に足りないのは、ある一定の強制と
厳しいルールであると思うのである。
【#366】 教育について考える。
- 2002年12月9日
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