先日ある女性と話していたら、その話の途中まで行った時
この話はちょっと違うのではないか、と思ったのである。
その女性の職業は女性支援センターの様な活動をしている
ようでしたが、話の中に「女性は抑圧されている。」「女性を
開放しなければなからい。」というのである。
最初は話の内容の意味が分からなかったのですが、
良く聞いていると、「女性は社会から抑圧されている。」
「女性は保守的な文化や伝統に抑圧されている。」という事の
様である。私は聞いているうちに嫌悪感さえ感じられた。
これが世に言う「ジェンダフリー」か。
女性を性差による差別から開放する。女性であるが故の
社会的差別を無くそうという思想であるようであるが、
現代社会において女性であるが故の差別はあるのだろうか。
女性と男性の区別はあるし、女性でなければならない事や
男性でなければできない事もある。これは差別ではなく
男女の区別である。どうも、この区別と差別をごっちゃにして
使っている。
仕事に対する意識も違う。男性は競争社会に勝つために
自己犠牲をするが、これは男のもって産まれた性質
の様な物である。子供に対する慈愛は母の慈愛に優るものは無い。
これは男にできないものがある。
女性を社会の文化や伝統から開放するといわれたのだが、
どのように開放するのか知らないが、社会の文化や伝統から
開放したいのなら、外国に逃げたらどうか。我々は社会の文化や
伝統から学び育まれて成長しているのである。
その文化や伝統からの開放は、自己の否定になるのではないだろうか。
古い文化や伝統、しきたりなどで時代にそぐわなく、不都合や
不合理なものは、改善していけばよいのである。
開放という否定ではなく、改善という現実を受け入れ
その中から新しいものを見出していく事が大切である。
それにしても女性差別撤廃などと言いながら、
女性専用車両やレディースディー、日中の喫茶店は
女性ばかり。
これはいったいなんだ。
【#492】 一言いいたい。
- 2003年6月10日
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