【#660】 表現の自由化かプライバシーの保護下

またも「表現の自由化」か「個人のプライバシーの保護」かと
マスコミ界を賑わしている。田中真紀子議員の娘の記事
問題であるが、私は「個人のプライバシーの保護」に
軍配を上げたいのである。
記事の内容は読んでいないから分かりませんが、個人の私生活
の問題を週刊誌が暴いたとしたら、これは確かに名誉毀損であり
プライバシーの侵害である。出版差し止めは妥当な司法の判断である。
マスコミはこの様な問題が起きると「表現の自由」「出版の自由」
を叫ぶが、表現の自由であれば一人の市民のプライバシーを侵して
も良いというのであろうか。個人には他人に知られたくない事や
隠しておきたい事、静かにしておいて欲しい事だって
いっぱいある。特に最近は犯罪被害者のプライバシーの
侵害がマスコミに向けられているが、報道の自由の権利を盾に、
被害者家族の心を抉るような報道もする。それでなくても
被害者は心に大きな痛手を受けているのに、そんな事
お構いなしの早朝、深夜に自宅のインターホンを鳴らして
の取材。これだってプライバシーの侵害である。
週刊誌だってそうである。電車の中つり広告は女性の裸の写真と
どぎついキャッチコピーの週刊誌の宣伝である。
芸能人は裸や不倫、離婚の個人のプライバシーを売り物に
しているから良いが、一般市民にはあの中つり広告は
目に余るものがある。青少年の犯罪は社会の問題であると
週刊誌で言いながら、その週刊誌で犯罪を誘うような
記事や写真を掲載しているのが、週刊誌である。
今度の週刊文春の出版差止めの司法判断は、今の週刊誌の
でたらめな記事と市民のプライバシー侵害を
「出版の自由」「表現の自由」というペンの暴力的行為で
正当化しようとするマスコミに対する警鐘である。
マスコミ界には、マスメディアという強力な拡声器的力があり、
伝統的に傍若無人なねじれたエリート意識がある。
それが人を傷つけたり犯罪加害者に仕立て上げたりする事もある。
松本サリン事件の河野さんのように。
ある意味でマスコミは市民の敵であり、国民世論の創作者になる
時もあるのである。自分達に都合の良いように世論をつくのである。
「表現の自由」の前に「個人のプライバシーの保護」が優先されなけれ
ば安心して住めない世の中になる。