~ 倫理法人会「万人幸福の栞」より ~
人は人、自分は自分と、別々のいきものだと考えるところに、
人の世のいろいろの不幸がきざす。
実は人はわが鏡である。自分の心を映す影像にすぎぬ。
山彦のよべば答える、それにも譬えられる。
にこにこして話しかけると、相手は笑みかけて答える。
大声でどなれば、むっとしてにらみかえす。
物売りが来る。イラナイヨと、つっけんどんに言うと、
ピシャリと戸を引きしめて出て行く。
親子、夫婦、交友、隣人、すべてわが鏡であって、
わが心のままに変って行く。
今日までは、相手の人を直そうとした。
鏡に向かって、顔の墨をけすに、ガラスをふこうとしていたので、
一こうに落ちぬ。自分の顔をぬぐえばよい。
人を改めさせよう、変えようとする前に、まず自ら改め、
自分が変ればよい。
これをひろげていくと、人の世のすべては、自分の鏡であり、
さらに草木も、鳥獣も、自然の動きも皆、わが鏡であることが
判ってくる。作物も、家畜も、わが心の生活をかえれば、
その通りに変ってゆく。
それだけではない。
私をとりまく大自然は、ただわが鏡というそれだけではない。
求めれば、何事でも教えてくれないものはない、
無上のわが師である。
自然は真理の百科事典、書籍はその索引である。
万象は真理の顕現であり、芸術の開花である。
目を開いてこれを見、口をすすいでこれを味わい、
心を空にしてこれに対するとき、興味津々、
地上は喜びの楽土と変ってくる。
古人は言った、「万象是我師」と。
まじめにこれに師事して尋ねる人には、正しく答えてくれる。
昔の人は天を父、地を母とよんだ。
父母はその子の求めには、何物をも惜しまず与える。
与えられぬのは、ま心からこれを求めないからである。
この求め方を教えるのは古の哲人であり、今の学者であり、
これを伝えたのが書籍である。
だから書籍は、これを暗記していたところで、それは
インデックスを覚えているに過ぎぬ。
学問は信じ過ぎるも愚であり、けいべつするも馬鹿である。
「太上は天を師とし、其次は人を師とし、其次は経を師とす。」
(『言志録』)