学校での犯罪が増える中、防犯、安全対策をする学校が
増えてきているという。本当に物騒な世の中
になったものだ。日本は水と空気と安全はただと言われた
時代があった。それほど日本は犯罪が少なく、安全な国であった。
夜の街を一人歩いても事件に合う事は少なかったし、
ましてや学校で殺人事件なんて起きるなど考えられなかった。
今は、学校で殺人事件は起きる、過疎の村の農家で殺人事件が
起きる、夜の街での犯罪等は当りまえである。
学校での安全対策もいろいろ行なわれているようである。
学校の校門に防犯カメラを設置する、玄関をオートロック
している学校もあるとか。子供に防犯ベルを持たせる学校や
、教職員にネット銃や護身様警棒を持たせる等の対策を立てている。
然しこれで万全といったものはない。
生徒に防犯の事を教えるには、犯罪への対処の方法として
犯罪の手口を教えなければならないのである。
また事件にあわないために人を疑う事も教えなくてはならない。
本来、教育では教えてはならないことを教えなければ
ならなくなったのです。皮肉な事である。
学校での安全対策は時間のかかる事であるが、戦後教育の自由、
人権、平等を反省し、責任や義務、社会規範などを中心とした
社会道徳の教育をすることではないか。
戦後教育は「個人の自由や人権の尊重や平等」だけが主張され
社会に対する責任や義務を果たす事や、他人を思いやる心の大切さ
、我慢する事の大事さ等がなおざりにしてきたのである。
そして「個人の自由や人権の尊重や平等」思想で育った
子供達が社会に出て、自己コントロールできない大人になっているので
はないか。
いまこの日本に大切な事は、社会への責任感を持ち、社会人
としての義務を果たし、公の役に立つという志を持った
「立派な日本人」を育てる教育ではないだろうか。
そうすれば学校での犯罪などなくなると思うのである。
安全な社会の生成はやはり学校教育からではないだろうか。