【#1067】 最近思うこと(3つの芯の喪失)

凶悪な事件がよくもこんなに続くものだとおもうこの頃です。
親が子供を殺す。子供が子供を殺す。子供が親や大人を殺す。
こんな事件が日常的になった。事件一つ一つについて述べませんが、
それにしても、人間関係が希薄になったのか、日本人から
情緒や思いやり、親切心や心配りがなくなったのかわからないが、
道徳心も公徳心も、敬う心や思いやりも希薄になったのは事実
だとおもいます。

私はこのような現象が何故起きるのだろうな、と考えたのですが
次の3つ事がいえるのではないかと思うのです。

一つは、家庭の教育力の低下にあると思うのです。
我が子を立派に育てるために「躾」と言うのもがあったのですが、
今は「躾」と言うのは死語のようになった。躾は礼儀作法の事ですが
、それは社会生活を営むうえで必要最小限の事を教える事で
何も難しい事ではないのです。
「言葉使い」「目の上の人を敬う」「履物をそろえる」「食物を大事に
する」など等、日常的で身近な事をしっかりと教えていく事だと思うの
です。躾の本来の意味は「立ち振る舞い」という
ことですが、難しく考えないで、ケジメのある生活をできるように
教える事だと思えば良いのです。芯のある教育、それが躾だと思うので
す。

二つ目は、神仏に手を合わせ、大いなる存在である神様を崇拝し、先祖
を敬う心が失われた事です。
昔はどこの家にも神様を祭ってあったし、仏壇もありました。そして
朝の食事の前には、神様に手をあわせ一日の無事を祈り、仏壇には
先祖への感謝に手をあわせました。
いま、核家族化や住宅事情もあり家に神様を祭ったり仏壇がある家が
少なくなりました。神様や仏壇が無いのですから、
大いなる存在への畏敬の念も希薄になりますし、先祖に対する敬う
心もなくなってしまいます。家庭から神仏がなくなったのです。
一家の幸せの基であり、安心の基は神様や仏壇に手を合わせる事に
あります。神仏は家庭の芯なのです。

最後は、一家の主である父親が存在感が薄れてことにあると思います。
昔は父親は「地震、雷、火事、親父」と恐れられました。
子供のとって父親は怖い存在でしたが、然し父親は強い存在
、頼れる存在の一家の大黒柱だったのです。
然し、いつの間にか「粗大ゴミ」「ぬれ落ち葉」などと
家庭での父親の存在はなくなりました。父親が弱いと家庭に
芯が無くなります。それが今日の家庭です。

このような事が、現在の凶悪な犯罪の遠因になっているのではないかと
思っております。