【#1116】 今学校で

「いじめ」による自殺や、受験優先の科目飛ばしによる履修不足
、それによる校長先生の自殺、記者会見の学校側や教育委員会の
二転三転の責任逃れ発言など、学校現場が混乱に混乱を招いている。
あれが学校の先生かと思うと呆れてしまう。

「いじめ」で自殺者が出るたび思うことは、学校の対応である。
「いじめ」の相談や通報があっても、「そんなことない」とか
「いじめられる方にも問題がある」で、先生や学校側は真剣に
対応しない。これは教育委員会も同じである。
学校と教育委員会の隠蔽体質や事なかれ主義、保身が、いじめによる
犠牲者を出している。

とにかく学校とか教育委員会は閉鎖的で外部からは見えない。
われわれはこの見えない塀の中に子供達を預けているのです。
先生と生徒だけの世界で、生徒は「いじめ」にあっても、なかなか
先生に言えない。それは先生に言っても取り合ってくれないか
先生に言ったことが仲間にばれると、更なるいじめにあうからです。
先生は「いじめ」にあう生徒にとって、自分を救ってくれる人ではない
なのです。だから生徒は自分で悩み自殺に走るのだと思う。

「いじめ」は昔からあったのです。40年も前の私達の時代も
ありました。私も中学生の時「いじめ」にあいました。
先生からのいじめでした。今でも覚えています。理科の小原先生
に相当いじめられました。みんなの前で成績(悪)を言われたり
、嫌がらせの言葉をしょっちゅう言われました。私も理科の授業が
嫌になりましたり、理科の授業があるときは学校に行くのが
嫌だったりしました。そんな時担任の藤沢先生が相談に乗ってくれまし
たし励まされて学校を卒業しました。
あれから40年、今でも藤沢先生とは年賀状や葉書の往復をしていま
す。

いじめは担任の先生と生徒との交流で解決できますし、
学校が真正面から取り組めば防げるのです。

事件が起きるたびに「調査します」「いじめがあったと認識していなか
った」などど責任逃れの発言を繰り返すが、人間として
もっともみっともないことである。学校は生徒に社会人として成長して
いく為の基礎的知識の習得と人間力を養う教育の場である。
先生、教育委員会は反省だけでなく(反省ならサルでもできる)、
教育者としての自覚と責任をもった行いをして欲しい。