【#1308】 人生ちんぷんかん

昨夜もいつもの三人で「香道」を楽しんだ。気心知れた三人ですが、
宗匠伊達先生はやはり凄いな。

昨日の主題は「小林一茶」でした。小林一茶は生涯二万句を作ったとい
われるが、そんな小林一茶の一生とはどんなものだったのかを、伊達宗
匠からお話いただき、証歌を「香」に聞いた。(伽羅 まなばん さそ
ら)

三歳で実母と死別、八歳で継母が来るが継母のいじめられ、近状の子供
たちにもいじめられ悪口を言われ、一人孤独の幼少期を過ごす。

十五歳で江戸に奉公に出される。江戸への奉公は継母との不仲を父親が
不憫に思い、奉公に出せば望郷の念で継母に対する気持ちも変るのでは
ないかという、父親の配慮だった。

江戸での一茶の生活はその日暮らしの荒奉公を何年の続けていた。乞食
同然の生活状態であったという。そんななかで俳句と出会う。
やがて俳句の腕が上がり、俳諧の道で頭角を現し「乞食首領一茶」とか
「信濃国俳諧寺一茶」と名乗り、天下の小林一茶へとなっていく。

一茶は家庭との縁も薄い。一人目の妻とは三男一女をもうけるが、四人
とも死別。妻も命を落とす。

二人目の妻は気性が合わず、二ヶ月で離縁。そして三人目の妻が連れ子
を持って嫁いでくる。

一茶は継母とその子供たちと遺産相続で十二年間も争いをするなど、
波乱万丈の生涯を送っている。

小林一茶の句
「やせかえる 負けるな一茶 これにあり」とか
「雀の子 そこのけそこのけ お馬がとおる」
「名月を とってくれろと 泣く子かな」
「われと来て 遊べや親の ないすずめ」

などの有名な句がある。、一茶は波乱万丈、苦難の生涯であるが晩年は
神仏に帰依したような心なるである。

一茶の辞世の句に

「盥から 盥にうつる ちんぷんかん」

産まれたときは盥で産湯につかり、死ぬときは盥の水で体を清めてもら
う。
人生とは「ちんぷんかん」ということなんだな。