【#1428】 「ほんとかな」の心

先日の産経新聞の「正論」に、曽野綾子さんの「ほんとかな」の心持
て、と言う記事が載っていました。なかなか興味ある記事でした。

曽野さんは、夫が息子の教育で折に触れてでたらめを教え、息子はだん
だん父親が本当のことを教えない事がわかってきて、「ほんとかな」と
思うようになり、自分で調べるようになった。本当の事がわかることで
別に人間不信に陥らなかったが、教師がデタラメを教えると怒ったり、
マスコミがウソをつくことにも腹を立てたりすることもなくなった、言
うのである。

曽野さんは、このエピソードから我々は日常起きている当たり前のよう
な事に「ほんとかな」と、疑問を持つべきだと言っている。

今回の衆議院選挙で自民党も民主党もマニフェストを掲げ、国民に「バ
ラ色の社会」を訴えた。「高速道路の無料化」「高校の授業料の無料
化」・・・・・・などなど。候補者はこのマニフェストを実現する事を
自分のミッションであると声を枯らして該当演説をしていたが、あの候
補者はどれほど信念として話しただろう。おそらく初めはマニフェスト
の実現性に自信はなかっただろうが、演説を繰り返しているうちに、自
信となり確信のようなものになったのだろう。内容の具体性や実現性は
関係なく、市民の誰でも分かり易い事をわかり易い言葉で訴えることだ
けでよかったからである。

ムードと言うのものは、ものごとを一気呵成にする事がある。今回の選
挙などもその一例であろう。その時市民は考えれる力がなくなり、他人
と同じ考えをしないと、社会からはじかれる様な感じになるらしい。も
のごとの真意や具体的な内容を考えれない状態になるのだという。

社会というのは、このようなことは意外と多いのではないかと思う。嘗
ての労働組合運動や学生運動、ゆとり教育、不動産バブルや金融バブル
もそうだ。一つの社会現象となり、「ほんとかな」と言う思考を停止さ
せてしまう。社会全体がそうなるとブレーキをかけるものがなくなり、
やがて崩壊していく事となる。

市民は社会で起きる事を、事実として観ることも大事であるが、自分の
見る目の正常さの検証と、起きていることの実証をすることも大事では
ないかと思うのである。その為には、何時も「ほんとかな」と言う観察
眼を持つことが大事ではないだろうか。