いつも思っていることがある。人生って何かな・・こんなに不思議な事
はない。若いときは夢だけを追い求めて足元など見ないでただ走ってい
たような気がする。その夢もハッキリしたものではない。ただこんなこ
とがしたいという現実離れしたような夢を描いていたのかもしれない。
昨日、日本伝統文化振興機構のメールマガジン「風物使」に、「「人間
(じんかん)到るところ青山(せいざん)あり。」(釋月性(しゃくげ
っしょう)「将東遊題壁」) があった。久しぶりに再会した言葉だ。
高校生の時だったと思うが、担任の先生だったか父親だったか忘れた
が、この言葉を教わり激しい感動に身震いをしたものだった。生きるこ
との激しい鼓動と、海原へ旅立つ決死の思いがこの漢詩にはある。いつ
の間に忘れかけていたが、私は青年時代はこの言葉を心の柱として仕事
に燃えていたような気がする。
この漢詩は若者にだけ贈る言葉ではない。「志」をもった老若男女に贈
られた言葉であると思う。
男児志を立て郷関を出ず
学若し成る無くんば復た還らず
骨を埋むる何ぞ墳墓の地を期せん
人間到る処青山あり
また、私が社会人になったばかりの頃、父からもらった一通の手紙に書
かれてあった言葉も、人生の宝物として未だに大事にしてその実践に勤
めている。
隅成
少年老い易く学なり難し
一寸の光陰軽んずべからず
未だ覚めず池塘春草の夢
階前の梧葉已に秋声
その当時は、この言葉の意味は解る事はできたが、父が私に何を言おう
としたのかは分からなかった。でも私の人生を支えてくれた大きな言葉
であったし、これからも支えてくれるであろう。
私はまだ「未だ覚めず池塘春草の夢」を抱いて生きているのかもしれな
いと思うときがある。