藤原正彦氏の「国家の品格」の三章に「自由、平等、民主主義を疑う」
があります。その中の一説・・・・
「自由」という概念です。いま自由を否定する人は世界中で
いないでしょう。私は「自由という言葉は不要」と思って
います。控えめに言っても、「自由」は積極的に賞揚すべき
概念ではありません・・
言ってその理由を・・・・
日本の中世において、自由はしばしば「身勝手」と同じ意味
で使われてきた。徒然草においてもそのように使われている
と記憶しています。自由が著しく制限されていた戦中への反
動から、また自由を国是とするアメリカによる占領統治もあ
り、戦後は事あるごとに「自由」が強調されてきました。
憲法や教育基本法をはじめ、さまざま法律にも、基本的な人
間の権利として書かれております。
しかし結局、自由の協調は「身勝手の助長」にしかつながら
なかった、と言えるのではないでしょうか。
この自由という名の化け物のおかげで、日本古来の道徳や、
日本人が長いあいだ培ってきたきた伝統的な形というものが
、傷つけられてしまいました。
人間にはそもそも自由はありません。生まれ落ちたその時か
ら人間に自由はないのです。あんなに厚い六法全書があり、
法律が網の目のように張り巡らされているのです。法律のほ
かにも道徳とか倫理とかもあります。さらに組織(会社)に
も規則もあり協調性が強いられています。我々の行動や言論
は全面的に規制されているのです。
自由が蔓延ると社会は崩壊する。
そして最後にすなわち国家とは、人民(国民)が自由を放棄
した状態をいうのです。
自由について考えるとても良い文章でした。
今日はこれで終了とする。