昨日、今日と奥州漆研究所で漆精製パラメータの実験や製品試作品の品質検査データ収集、製品製造をやりました。作業を始めると途中で手を離すことも、昼食を取る暇も、水を飲む時間も忘れていた。気がついたら15時になっていた。15:39に東北新幹線やまびこにならねばならない。製造した漆をコンビニで出荷してギリギリ新幹線にのる。新幹線の中では、会社への、お客様、友人などにメールをする。気がついたらもう東京に近づいていました。
今日ふと思い出した事があった。岩手の高校を出て千葉県農業開発公社に就職し働いて半年ぐらいの時でした。ふと「俺も大学に行きたい」と気持ちにかられたのでした。高校在学中から大学に行きたいとは思っていたが、兄弟が多い私には大学進学は難しかった。そんなこともあって就職して働くことなったのでした。千葉県農業開発公社で農地の測量助手として農地基盤整備事業現場で働いていたのでした。そんなある日、「働いてお金を貯めて大学に行こう」と決心。当時の職場環境は連日夜9時過ぎまでの残業は当たり前、時には深夜になることもしばしばでしたね。休日は日曜日でだけでした。もちろん有給など取れませんでした。一ヶ月の残業時間は130時間以上過労死水準は軽く超えていました。(当時は過労死などという言葉すらない)。だから残業代が給料より多いし、休みがないからお金は使わない。そんな事で大学の入学金と引越し費用は直ぐに貯まりました。ただ勉強はできておらず合格は・・・・なんとか合格。
両親には合格まで黙っていましたが、合格の日に手紙を書き大学入学を連絡しました。当時は岩手の実家にも千葉県茂原市の私のアパート近くにも電話はなかったですね。だから手紙で大学合格を知らせてたのでした。一週間ぐらいして父から一枚の葉書が届き、葉書の裏面にはこの言葉だけが書いてあった。
少年老い易く学成り難し
一寸の光陰軽んずべからず
未だ覚めず池塘春草の夢
階前の梧葉已に秋声
私は父の葉書のこの言葉を読んで泣いた事を今でも脳裏にある。今人生の晩年になってもこの言葉は胸深くに大事にしている。