高校に入学した当日、担任になった藤井先生は大学をでて初めて赴任し
てきた新米教師でした。若くてはつらつとして、その上空手道の有段者
であった。生徒との接し方も生徒目線で厳しくもあり、また寛容でも
あった。
その先生が「切磋琢磨」と模造紙に書いて教室の黒板に上に張ってくれ
た。先生がその意味を説明してくれたが、あの当時はあまりわからな
かったな。
先日安岡正篤先生の「人物を創る」の中の「小学」と読んでいたら、こ
の「切磋琢磨」の一節があった。
切するが如く磋するが毎しとは、学ぶを道なり。
琢するが如く磨するが如しとは、自ら修むるなり。
切磋とは、学問や議論をして学ぶ道を言い、琢磨は良き師や友人に得て
自己を修めることを言うようである。良き人間関係というのは、互いに
師友相俟って「切磋琢磨」する事関係を言うのだと・・・
高校を卒業してあれから幾十年も経つが、この言葉は今でも私の心の
「無意識界」、無能昌言先生の言葉で言えば「阿頼耶識界」に落とし込
まれている。
良い言葉というのは、人生の大きな肥やしである。また良き師、良き友
人に出会うは一生の宝であると思うのである。
今日はこれで業務終了とする。